ミャンマーで長井さんが射殺された。
中国やロシア、中東など民主制とはほぼ遠い制度がある。
民主制の手本とされるアメリカなども、政治体制の評価については?がある。
少し革命について考えてみた。
もし歴史の流れとして、民主制が現代では最高の社会状態とするなら、そこに到達するにはどうすればよいのか。
ここでは民主制からの次へのステップについてひらめいたことをかく。
たとえば今の民主制について文句があっても暴力で妥当すべきか?
仮に革命後の政治体制も民主的に行うのがベターだと思うなら、軍事的な革命はおかしいだろう。今の政治体制を変えるために、民主政治の枠組みの範囲内で戦うべきだ。もし既得権益者を批判するとしても、暴力に訴えることはできない。
「もし〜」の場合に備え暴力を担保にする、自称民主主義者はありえないからだ。
それはそれは絶対王政や帝國主義を変わりはないだろう。
現代の枠組みの中で、革命(社会構造の根本的な変革)を求めるものこそ、今の民主制の下で戦わなくてはならない。たとえ二世議員が跋扈しているこの国でもだ。
革命の本質とは全く異なる行動(資金集め プロパガンダ)をしなければならなくても、民主制を暴力で否定することはできない。つまり無意味だと一般的には思われる戦いに参加しなくては、民主制をよくすることは出来ない。
アメリカのように馬鹿みたいな選挙資金や人脈が必要である社会でも、くだらないと思ってもそれに参加しなければならない。このくだらない作法が必要である、一定の民主的な理由もあるからだ。
このような不毛にも思える試練、経験を得た後に、理想に社会を近づけなければならない。ミイラとりがミイラにならないように。
「近代の徹底」における「革命」は本当に辛いものだ。
曲がりなりにも歴史の蓄積から得た「民主制」は程度において、極端なアメリカか、緩やかな日本のどちらに向いているのかはわからない。
民主制の成長段階としての、社会主義、共産主義、または共和主義。
過程を世界レベルで考える知性が必要だ。
宮台先生の革命は既に始まっているんだと思う。
中国やロシア、中東など民主制とはほぼ遠い制度がある。
民主制の手本とされるアメリカなども、政治体制の評価については?がある。
少し革命について考えてみた。
もし歴史の流れとして、民主制が現代では最高の社会状態とするなら、そこに到達するにはどうすればよいのか。
ここでは民主制からの次へのステップについてひらめいたことをかく。
たとえば今の民主制について文句があっても暴力で妥当すべきか?
仮に革命後の政治体制も民主的に行うのがベターだと思うなら、軍事的な革命はおかしいだろう。今の政治体制を変えるために、民主政治の枠組みの範囲内で戦うべきだ。もし既得権益者を批判するとしても、暴力に訴えることはできない。
「もし〜」の場合に備え暴力を担保にする、自称民主主義者はありえないからだ。
それはそれは絶対王政や帝國主義を変わりはないだろう。
現代の枠組みの中で、革命(社会構造の根本的な変革)を求めるものこそ、今の民主制の下で戦わなくてはならない。たとえ二世議員が跋扈しているこの国でもだ。
革命の本質とは全く異なる行動(資金集め プロパガンダ)をしなければならなくても、民主制を暴力で否定することはできない。つまり無意味だと一般的には思われる戦いに参加しなくては、民主制をよくすることは出来ない。
アメリカのように馬鹿みたいな選挙資金や人脈が必要である社会でも、くだらないと思ってもそれに参加しなければならない。このくだらない作法が必要である、一定の民主的な理由もあるからだ。
このような不毛にも思える試練、経験を得た後に、理想に社会を近づけなければならない。ミイラとりがミイラにならないように。
「近代の徹底」における「革命」は本当に辛いものだ。
曲がりなりにも歴史の蓄積から得た「民主制」は程度において、極端なアメリカか、緩やかな日本のどちらに向いているのかはわからない。
民主制の成長段階としての、社会主義、共産主義、または共和主義。
過程を世界レベルで考える知性が必要だ。
宮台先生の革命は既に始まっているんだと思う。


